世界の廃墟となった人がいなくなった街

かつて、人が住み、にぎやかだった街が、様々な理由から、人がいなくなった街があります。今回は、様々な事情から、世界の廃墟となった人がいなくなった街を7つご紹介します。

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1.ダムに消えた街

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1959年に新安江水力発電所を建設した時にできた千島湖(せんとうこ)は中国浙江省杭州市の淳安県と建徳市にまたがる人造湖です。また、1982年には、中華人民共和国国務院により国家級風景名勝区に指定されるほど、美しい景観を見せています。

しかし、湖に沈んだ都市の存在は、最近まで忘れ去られていたのです。ダムの海底には、古代から続いた淳安(賀城)と遂安(獅城)の2つの城郭都市の遺跡が眠っています。特に、遂安(獅城)は、中国東部の経済の中心地で、多くの人が、交易のために集まっていました。調査の結果、木で出来た装飾等も、状態よく残っており、今後は、観光資源としての利用も検討されています。(ソース

2.ダムの決壊で水没した街

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カナダのオンタリオ州にあるこの村は、セントローレンス川沿いにあり、18世紀後半に英国系の移民が作った街です。1954年に米国とカナダは共同して、この川に、大西洋からの海上貨物船が航行可能な600キロメートルの航路の建設を始めました。ところが、4年後の1958年7月、コファダムが決壊し、セントローレンス湖の波の下で姿を消してしまいました。そして、ダムの決壊は、8,000ヘクタール以上の主要な農地と成熟した果樹園を破壊し、6,500人が移住を余儀なくされました。1977年にこの事実を伝えるために、近くに博物館が建築されました。(ソース

3.火山灰に埋もれた街

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2008年5月2日の早朝、チリ南部のチャイテン火山が、約1万年もの無活動の後、噴火し、数日間激しく活動し、30㎞の高さまで上昇しました。近くにあるチャイテンには約4000人が住んでいましたが、すぐに避難しました。町は噴火で大きく打撃を受けなかったが、火山の直下を流れる川に火山灰と泥が大雨で流され、海に流出する際に、土石流として押し寄せてきました。水は街の中心を通り抜けたため、町のほぼ半分が破壊された。

さらに、9か月後の2009年2月19日、火山は再び噴火し、火砕流はチャイテンの町から5km以内にある川の谷を流れ落ちました。しかし、政府は、移住するように勧めましたが、住人たちは、土石流で埋もれた街の北側に新たな街を作り、火山の跡には、多くの観光客が訪れています。(ソース

4.戦争で土地を追われた人が住んでいた街

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トルコ南西部のフェティエ市の南8キロには、かつて、ギリシア正教のクリスチャンがすんでいたリヴィッシーという村がありました。この村は、18世紀に古代都市レべサスの敷地内に建設されたもので、ビザンチンゲメラー島の住民が暴行した海賊から逃れるために逃げた場所と考えられています。

全盛期には、1万人から2万人が住んでおり、第一次世界大戦以前までは、穏やかに過ごしていました。ところが、戦争が始まると、トルコから、ギリシャは敵国とされ、民族浄化の一環として、数十万人のギリシャ人が戦争中に虐殺されました。その時に、多くのギリシャ人たちは、強制的に強制送還され、この街からも人がいなくなりました。さらに、1957年、7.1度の大地震がリヴィシーのの建物のほとんどを破壊しました。現在は、博物館があり、歴史的モニュメントとして保存されています。(ソース

5.ダイヤモンドの資源が枯渇し、放棄された街

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今は、ゴーストタウンとなっているナニビアのナニブ砂漠にあるコールマンの丘ですが、かつては、ダイヤモンド鉱山があり、とても賑やかな町でした。1908年に、ここで働く労働者が、ダイヤモンドを見つけ、ドイツ政府がダイヤモンドの採掘を開始しました。ダイヤモンドで得た莫大な利益で、住民は村を建設し、ドイツなどの設備や研究機関だけでなく、病院、発電所、学校、などのインフラを整備しました。

しかし、第一次世界大戦後、ダイヤモンドの資源は枯渇し1954年に最終的に放棄されると、全ての人は町を離れ、廃墟となり、少しずつ、砂漠にのまれていきました。今では、コールマンの丘は、カメラマンに人気があり、この繁栄した町を見学するツアーも人気があります。(ソース

6.放射能で汚染された街

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1986年にロシアのプリピャチは、チェルノブイリ原子力発電所事故によって放射能汚染がひどく放棄された街です。1970年にチェルノブイリ原子力発電所の従業員用の居住地として創建された街で、当時は地図上にない閉鎖都市でした。事故直前の人口は約49,400人で、近くには、プリピャチ川が流れ、緑豊かな町で、原子力発電所に近い街だったので、エレベーター完備の高層マンションなどの近代的な建物が多く建っていました。

今は、事故後街がそのまま放棄されたため、当時の建築物がそのまま残されたゴーストタウンと化しています。道路状況も良く、比較的行きやすい場所ですが、放射線量は高く、年間被ばく量を簡単に超えてしまうため、観光時には、同意書を書く必要がある上、住むことは出来ない街になってしまいました。(ソース

 7.映画「サイレントヒル」のモデルと言われている街 アメリカ

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1962年アメリカのペンシルベニア州の鉱山で発生した火災が今でもまだ燃え続けており、米国政府の強制退去勧告命令によりゴーストタウン化しました。そのきっかけとなったのは、1962年5月にゴミを焼却した際に、その火が地下の鉱脈に燃え移ってしまったことでした。

それ以来、鉱脈の上にある地表では地面が70℃から80℃まで上昇、熱を帯びた地表には亀裂が走り、地下水は水蒸気となって地表に噴出するようになり、地盤沈下も頻繁に起きているそうです。また、地下での火事のため、雨が降っても鎮火することはないため、消火できるまで、100年はかかると言われています。

それにしても、道路も陥没して、通れなくなり、どこで火事が起こるかもわからない状況だと、危なくて住んでいられないですね。でも、今でも数十人は、ここを離れたくないと、住んでいる方がいるそうです。(「サイレントヒルのモデルとなった廃墟化した街 アメリカ、ペンシルバニア州セントラリア」

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